翌朝、ひゐろと孟は、朝食時に居間でいっしょになった。
ひゐろはどこか照れ臭く、孟と目を合わさないようにして食事を摂った。
朝食を済ました後、再び自室に戻ろうとするひゐろに孟が声をかけてきた。
「…それじゃ、時計台で」
「ええ」
孟との間に秘め事があり、なおかつ親が私を送ってくださることを公認している。そんな現実に、ひゐろはくすぐったい気持ちを感じていた。
ひゐろが今朝も口入れ屋へ行くと、事務員から
「今日のお客様は、すでにお越しになっている。よろしくね」
と言われる。
お客様は、小柄で筋肉質の中年男性だった。【改善脫髮】四招避開活髮療程陷阱,正確生髮! -
「初子さんとおっしゃるんだね。僕は、麹町の米屋の店主だ。今日はよろしく」
とぶっきらぼうに言った。
「お米屋さんなのですね。ここ数年、米騒動で商売が大変だったのではないですか」
「あぁ……うちは麹町だったせいか、店先が破壊されるような大きな被害はなかった。ただ米価の影響はあったね」
「襲撃に遭わなかっただけ、不幸中の幸いでした」
「だが、一時は一石五十四に高騰したよ。米があっても手に入らないし、万が一手に入っても庶民が買える値段じゃない。戦争の影響というのは、大きいもんだ」
「うちは父が何とか工面して、輸入米を購入していました」
「……そうかい。まぁとりあえず、この車に乗ってくれ」
ひゐろが車に乗り込むと、米屋の店主は続けた。
「四月に政府が米穀法を制定したけれど、まさか国が米を管理するとは思わなかったよ。果たしてどうなることやら」「お米が手に入らなくなった時期から、私はパンを食べるようになりましたけど」
そう言ってひゐろが笑うと、
「パンの影響も、あるんだよな。実は俺もときどき、パンを食っているよ」
「……えっ?お米屋さんも?」
ひゐろは笑った。
「そうだよ。俺に限らず、大工や八百屋もそうだよ。手軽に買えるし、片手で食べられる。米屋はそれらの影響を受け、踏んだり蹴ったりだ。そのうっぷんを晴らしに、今日はここにやってきたんだよ」
「楽しい一日になると良いんですが。よろしくお願いします」
ひゐろは、頭を下げた。
「さて、どこに行くかな」
米屋の店主は言った。
「そうですね。最近は上野のほうへ行っていないので、上野公園はいかがですか?」
「……上野公園?最近、連日選挙集会が行われているよ。上野と日比谷は、ほぼ毎週のようにね。怒号も飛び交っているし、警官との衝突があるから、君は危ないぜ」
「東京市の米騒動からの影響があるんでしょうか」
「それもあるな。上野公園と日比谷公園は、東京市民が集まりやすいんだろうな」
米屋の店主はしばらく考えた後、こう話した。「日比谷は行けないけど、深川はどうだい?深川には、米の流通拠点がある。まぁ、と倉庫しかないけれどね」
「ぜひ、行ってみたいです!」
米屋の店主は宝町へハンドルを切り、深川に向かった。
「オートガールは、楽しいかい?」
「ええ。毎日、いろんな職業の方がいらっしゃいます。年齢もさまざまで、壮年の方や書生さんもいらっしゃいます。社会勉強になりますし、いろんな場所にも行けます」
「それは良いな」
「……ところで、さっきの話に出てきたって何ですか?」
ひゐろの質問に、米屋の店主は笑った。
「そりゃ初子さんは、知らないだろうね。明治半ば以降、東京市にはさまざまな地域からの米が集まるのさ。つまり深川に東海道や北陸、九州からの内地米が水運で輸送されているんだよ」